食い物の恨みは…

空腹の王子 (新潮文庫)

空腹の王子 (新潮文庫)

 著者のユーモア読み物にかけての腕は相当なものである。「団塊ひとりぼっち」で、そのことは十分理解しているつもりだった。が、この本に込められたユーモアとペーソスも又相当な器量を要しているのである。
 深夜のファミリー・レストランで著者はひとり照り焼きハンバーグ定食をモグモグ食べながら、世の中の様を観察しつつ、メッセージを編み出していく。
 荻窪の超有名店「M福」という、いけ好かないラーメン屋を何度もクサしているのも好感がもてるなあ。

それにしてもあのラーメン屋の無愛想と不機嫌はふつうでない。いったいどのくらい普通でないかという私の知り合いの誰にきいても、あのふたりが笑顔になるのを見た人間はひとりもいない、というくらいのものである。
 しかし、それでも客は、この店をありがたがって黙々と行列をつくる。ラーメン・ファンはよほどひとがいいのか、それともほかのラーメン店がよほどまずいのか、あるいはその両方なのか。これだけはさっぱりわけがわからない。
 もっとも、世の中には、こういう食い物店の態度を、なぜかありがたがるひともいる。いわく、昔風の職人気質。いわく、愛想のないのが本物。まったく冗談じやあないですよ。
 グルメブームに浮かれ出たこの手のノーテンキだちと、すっかりその気になっている「本物の職人」たちが、日本の食べ物店をますます居心地の悪いものにしているのである。こういう風潮のおかげで、私みたいなマジメな外食生活者は、ひどく迷惑をしている。
 ねえ、おじさんおばさん、せめてマクドナルドのバイト少年少女の半分くらいの笑顔で客あしらいをしても、バチはあたらないのではありませんか。
 あるときのことである。このM福で、おっかなびっくり、名物・玉子ラーメンをいただかせていただいていた私は、隣の客がレンゲを使っているのを見て、あ、こっちにも欲しいなと思った。べつに私は中国人ではないから、右手に箸、左手にレンゲを持だないと麺が食えないというわけではない。郷に入ったら郷に従え。私も日本式に、類の大どんぶりに直接目をつけて、ズズズと湯をすすればよかったのだが、そのときはつい魔がさして、
「えー、私にもレンゲを下さい」
 といってしまったのである。それにレンゲは、カウンターの上の、私が手をのばせば届くところに洗って並べてあった。
 すると、カウンターをへだてて私と向き合うように立ったおばさんは、仕事の手を止めて、カッと正面から私を見据えた。白い三角巾で包んだ髪はほつれ、超不機嫌な顔が汗と湯気に濡れて光っている。私はしまったと思ったが遅かった。
 「うちは、ワンタンにしかレンゲを出していないんですけど……」
 まことにとりつくシマのない、木で鼻をくくったお返事である。
私は、気が弱くて人あたりがよいという、扱いやすい客の見本みたいな人間であるから、
「ああそうですか、すみませんでした」
と引き下がった。だが、こういうタイプは、それだけにものごとを深く根に持つ。
それからしばらくして、この行列ラーメン屋の巨額な申告漏れをマスコミがすっぱぬいた。
しかし、私はまるで同情しなかった。