対岸の彼女

対岸の彼女

切ない物語。優れた人物造形。また一人読み続ける女性作家が増えました。
葵とナナコの友情が北村薫の傑作「スキップ」の一ノ瀬真理子の姿に重なります。

 「アオちんがいじめられてたのはさあ、きっと、嫉妬されたんだよ。みんなにないものを持ってるから。持ちすぎてるから」
 体育座りの格好のまま、寝そべる葵をふりかえらずにナナコは言った。
 「いいんだ、そんなこと言ってくれなくても。あたし、わかるもん。自分がどっかへんだって」
 ドーナツを手にし、輪っかから空を見上げる。白い雲がゆっくりと空を這っている。ドーナツの輪に突然ナナコの片目が飛びこんできて、ぎゃっと葵は声をあげた。ナナコは笑い転げる。
 「ま、いいよ、そういうのって本人にはわかんないし。でもどっちにしてもあたしはアオちんをいじめた人に感謝する。だって、だからアオちんと会えたんだもん」
 ナナコは葵の隣に寝そべり、同じようにドーナツを頭上にかざして言い、それから無表情な声で、まるでせりふを読みあげるようにナナコは言った。
 「ねえ、アオちん、あんな場所でなんにもこわがることなんかないよ。もしアオちんの言うとおり、順番にだれかがハブっていったとして、その順番がアオちんになったとしても、あたしだけは絶対にアオちんの味方だし、できるかぎり守ってあげる。ね、みんなが無視したって、たったひとりでも話してくれたらなんにもこわいことなんかないでしょ?」
 葵は何も言わなかった。ただドーナツの輪から空を見続けていた。
 「でもこれは、協定でも交換条件でもなんでもない。もしあたしが無視とかされても、アオちんはべつになんにもしないでいいよ。みんなと一緒に無視しててほしいくらいだよ、そのほうが安全だもん。だってあたしさ、ぜんぜんこわくないんだ、そんなの。無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし」
 葵は頭上にかざしたドーナツを顔に近づけて、一ロ齧った。それをまた空にかざす。アルファベットのC形ドーナツから空を見る。輪のなかの青色が、空に溶けだしていくよう
だと葵は思った。