全共闘の通史です

安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

安田講堂 1968‐1969 (中公新書)

浜の真砂は尽きるとも世に全共闘の種はつきまじ…。などと考えて、団塊の著した類書を想像して読み始めたら、全く違うのだった。著者は1969年の東大安田講堂事件の際「本郷学生隊長」として講堂に立てこもった人でこの事件の内部からの証言である。最初は寝転んで読み始め、途中で座りながら読み続け、マーカーで傍線を引き、ページを折りながら、仕舞いには風呂に持ち込んで読み続けた。(新書の割には分厚で364ページもあるし、風呂で読んだのは最終章に至って涙を禁じ得なかったからだが)
断言します。今更、全共闘などと思われる貴方(誰だよ)、損はしません。お読みください。
著者はひとつの仮定としてもし闘争の最終局面で「東大では全共闘日本共産党が」「日大では全共闘と右翼・体育会が」合流していたら、どうだっただろうかと問うている。以下一部引用。

ともかく、そういう仮定が実現したとする。東大では法学部を除く全学部が、無期限ストを続けることになる。全員留年、入試中止となる。自民党は東大解散を示唆する。社会党は事態の仲裁を買って出ないわけにはいかない。明治維新以来、日本の高級官僚を養ってきた大学を閉鎖してでも大学闘争を粉砕するか、それとも妥協案を作るか、フランスの大学改革を参考にして学生の大学運営への参画を認めるか?
そこから、本格的な闘争が始まるはずだ。それがどうなるにしても、日本は新しい道を模索することになる。それは、是非とも必要な道だった。
なぜ、それがよくても悪くても選択しなければならなかった道だと言うかといえば、それがなかったから、今の日本に至りついたのだと言えるからである。人は利害だけでは生きていない。今の医療を見るとき、いったい、青年医師連合はどこに行ったのか?という嘆きが湧く。青年医師連合はこの腐敗しきった世界にメスを入れる医師たちの集まりではなかったのか。彼らが医者の世界から消えたことが、どれほどの腐敗を医者の世界に生み出したことか。

として、「虚栄に充ちた怠惰でふしだらな精神」の持ち主をその社会の指導者(かつての軍参謀たち、労働運動指導者たち、高級官僚たち)としなくてはならない戦前を含む現代日本の不幸を指弾してやまないのだ。
著者は「おわりに」としてホー・チ・ミンの詩を訳して引いている。

高くもなければ遠大でもなく、ましてや皇帝でも王様でもない。
たかだか一片の石の道しるべ、大道の傍らに立つだけのこと。
ただ、旅人はお前が指し示す方角を頼りにし、
お前のおかげで遠近もわかる。
お前の働きも捨てたものじゃない。たぶん、人々はそれを忘れないだろう。

わしも忘れんぜ。